「それでは、お父さんと中国人の武人は真剣で立ち会うことになったのですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。父は日本刀を、中国人の武人は青龍刀を持ち、父の所属した部隊の兵隊全員が見物する中で行われたようです。」

「それで、どういう戦いになったのですか」と町会長。

「残念ながら、どういう戦いになったのか、父は話しませんでした。」

「お父さんは、精神注入棒で毎日殴られたようなことについては話すが、戦って勝ったことについては話さないということでしたね」と町会長。

「おっしゃる通りです。父がこの話をしたのは、この試合を転機に満州での生活が一変したからだと推定しています。」

「この試合を転機に、やりたい放題の生活になったということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。実は、数名の部下と200人ほどの馬賊を捕虜にした話をしたことがあります。」

「わずか数名で、200人もいる馬賊の集団を捕虜にしたということですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。父が数名の部下を連れて、馬賊の偵察に行ったとき、200人ほどの馬賊の集団を発見したのだそうです。」

「それで、どうしたのですか」と町会長。

「馬賊の進む先に、左右に逃げられない場所があるのに気がついたので、部下を二手に分け、馬賊が逃げられない場所に差し掛かったとき、挟み撃ちにして機関銃をぶっ放したと言っています。」

「実に、大胆な作戦ですね」と町会長。

「馬賊は仰天したと思いますね。日本兵が数名しかいないとは思わなかったのだと思います。」

「それで、どうなったのですか」と町会長。

「父は、その場で馬賊を率いる頭目に1対1の立ち合いを申し込んだのだそうです。」

「お父さんは、立ち合いの最後の結果までは話さないのでしたね」と町会長。

「その場で、直ちに立ち合いが行われています。この立ち合いについては、わずか数名で、200人もいる馬賊の集団を捕虜にしたことが自慢だったようで、なぜ捕虜にできたか説明するために、最後の結果まで話しています。」

「どういう結果になったのですか」と町会長。

「立ち合いが始まった瞬間に、頭目の首は胴体から離れていたそうです。」

「孟宗だけを瞬時に3つにする抜刀術を使ったのですね」と町会長。

「おっしゃる通りです。その立ち合いを見ていた馬賊は、皆、腰を抜かし、戦う気力があるものは誰一人いなかったそうです。」

「それで、わずか数名で、200人もいる馬賊の集団を捕虜にすることができたのですか」と町会長。

「おっしゃる通りです。父の部下も、普通の人間ではなかったのだと推定しています。」

「普通の人間だったら、わずか数人で200人もいる馬賊の集団を挟み撃ちにするなどということはできませんよね」と町会長。

「おっしゃる通りです。数名で200人の馬賊を相手に白兵戦をしてみるのも面白いという人ばかりだったはずです。」

「関東軍には、そういう人がいたということですか」と町会長。

「父祖代々武術を受け継ぎ実践の場を満州に求めた人が、父以外にもいたということだと推定しています。」

2021/6/4

<筆者の一言>
もし、院長が、夜寝る時『肺兪』を枕の下においていたのなら、全身に脾虚の硬結が現れたとしても、皮膚に気が流れているので助かるのかも知れないと思った。しかし、お風呂に入る時などに肺兪を手放せば、脾虚の硬結のために老化が急激に進行してしまうのだろう。

そう考えると、息子が陰の本や陰のゲームのために2度も死にそうになったのに、死ななかった理由が理解できる。我が家には強力なシュリーヤントラ系のパワーグッズが置いてあるのだ。<続く>

2024/5/22